余計なお世話の可能性もある出来事

  • 2019.12.09 Monday
  • 03:18

予定より3ヶ月遅れましたが、ようやく東中野の店舗を閉めることができました。

ご来店いただいた皆様8年間ありがとうございました。

やや強引に荷物を未整理のまま撤退したのでしばらくは雑用ありますが、

いずれは中野坂上のママスでなにかやろうと考えています。

フォレスト玩具の屋号ももう少し残そうと思っています。

また報告したいと思います。

 

先週ひし美ゆり子さんと深大寺のおそば屋さんで13時に待ち合わせをした時の話。

二人でカウンターに着席し、「ちょっと飲んじゃいますか」と麦焼酎のロックを飲み始めました。

色々と軽めのおつまみを注文しながら小一時間で自分が4杯、ひし美さん3杯飲み干した頃、

自分たちが座るカウンターの横に80は超えていると思われるご婦人が着席したのです。

その方、店定番の冷たいおそばを注文し、しばらくしたら運ばれてきました。

 

横目で見たら大変美味しそうなおそばでした。

ひし美さんは大根おろしのおそばを推奨するので2つ注文しました。

我々のおそばが運ばれて来た時、そのご婦人は完食されており

我々に話しかけてきました。

ここのおそばが美味しくて先代から何十年も通っているとのことでした。

 

そのご婦人会計が850円だったのですが、がま口からたくさんの小銭をテーブルに出したのです。

見ると硬貨は山のように何十枚もありますが、1円玉、5円玉、10円玉で構成されており、

とても850円はありません。

店の人間があまりに遅いので中から出てきて、小銭の山を見て唖然とした表情。

ご婦人は気にもかけず我々におそばのうんちくを語り続けている。

 

完全にボケていたのです。

 

ことを丸く収めるため、店主に自分の伝票につけて欲しいとお願いしたのです。

店主は意外にも「いいんですか。すみません」と即座に了承。

その場は収拾されたのですが、ひし美さんに一言言われたのは、

「あのおばあさん、お金がなくても来るようになると思うよ」でした。

 

なるほど店に迷惑をかけてしまうことになりかねないなと思い、

即座に店主に進言しました。

 

「あのおばあさんは、次回から前払い制でお願いします」

 

 

これは小さな親切と言えるのか

  • 2012.12.28 Friday
  • 22:43
俺の日記カテゴリーの「小さな親切の話」。

時折称賛いただくことがある。



3日前の25日、クリスマス。

千川まで呼び出された俺は地元駅のホームへ着いた。

21時を過ぎた頃だった。

相当寒いホームに人はまばらだった。

上り電車5分待ちのため、待合室へ入った。

暖房が効いており暖かかった。


反対側に下り電車が到着した。

結構混んでおり、たくさん人が降りた。

乗車する人が順に乗り込みはじめた。

待合室にいた人達は全員乗り込んだ。


ひとりの女性がエスカレーターで上がってきた。

この電車に乗ろうと、小走りに彼女を抜き去る人もいた。

彼女は決して急くことをしなかった。

あと僅かな所で無情にもドアが閉まってしまった。

寒いホームに彼女だけを残し、下り電車は走り出した。


キャメルのショートコートに黒いスエードのロングブーツ。

髪は栗色のボブカットでお洒落なこげ茶色のバッグ。

後姿から想像するに清楚な感じの女性。

クリスマスの帰りだろうか。

しかし、なぜ乗らなかったのだろうか。


彼女の足元を見て、俺の身体に電気が走った。


彼女は先端が赤く塗られた白い杖を持っていた。

ちょっと急げば難なく乗り込めたはずだったが、

それが叶わなかった理由を理解した。


彼女は次の電車まで7分も待たなければならない。

そんな光景を俺は暖かい待合室でひとり眺めていた。


何とかこの暖かい待合室で待ってもらいたい。


俺は彼女に声をかけた。

「次の電車まで7分あります」

「斜めすぐ後ろに暖房が効いた待合室があります」

「誰もいないし、そこで待たれたらいいですよ」

「案内します。左の肘の所を失礼します」


ここまで一方的に話しきった。


「ありがとうございます」


強引な俺の発言に驚きや戸惑いも見せない。

俺の顔を見るかのように振り向き、微笑んで言った。


綺麗にお化粧をしていて大変綺麗な人だった。

俺の突飛な申し出を受け入れてくれたことに感動した。

約5メートル。待合室まで案内した。

その間、彼女は右手を少し上げ、白い杖を地面から浮かせた。


「あー暖かいですね。ありがとうございました」


また俺の顔を見るように笑顔で言ってくれた。

俺の目を探すことはかなわない彼女の目。

そんな彼女の目が堪らなかった。


「彼女の目となって生きたい」

「たくさんの幸せを人一倍感じさせたい」


既婚者の俺が瞬時に飛躍的な妄想にかられた。

同じ感情を抱く者はきっと大勢いるだろう。


上り電車が来た。

僅か2分位だろう。素敵な時間だった。

俺は心の中で彼女の幸せを祈りながら電車に乗り込んだ。


果たしてじいさんやばあさんに対しても、同じ事が出来ただろうか。

「ノーだろうな。いや、うーん」

電車に揺られながら自問自答した。

小さな親切をしたかも

  • 2012.12.24 Monday
  • 05:08
今日はまっすぐ帰ろうと店じまいをしていた時、

携帯電話が鳴った。

池袋で飲もうとの誘いの電話だった。

思えば夏から定期的に電話をくれるが、

タイミングの悪い日が多かったのか、しばらく会ってない。

俺も連日の飲みでほとほと疲れている。

あまりに強引に誘うのでしぶしぶながら承諾した。

23時までなら付き合うと条件をつけた。


20時に店を閉め、タクシーを拾う為早稲田通りに出た。

ひとりの60代と思しき女性に声をかけられた。


「吉祥寺に行きたいのですがどっちの方角ですか」


しゃがれ声で聞き取りにくかった。

指をさして「あっちの方角ですよ」と教えた。

すると、

「歩いてどれくらいかかりますか」と言う。

「とても歩けない距離です。3、4時間はかかりますよ」

それを聞いたのに、その人は頭を下げ歩き出した。

あまりに無謀なので、俺は呼び止め電車を勧めた。


女性は歩かねばならぬ理由を話し出した。

北海道から今日出てきて荷物を全部置き引きにあったと言う。

すでに3時間は歩いていて、のどがカラカラで声が出ないらしい。

無一文のまま吉祥寺の知り合いの所まで徒歩で行こうとしていたのだ。

この寒空にかわいそうにも程がある。


すぐさまサイフを出して中身を点検した。

36000円也。

万札3枚、五千円札1枚、千円札1枚。小銭なし。

2千円渡したかったが千円札は1枚しかない。

細かくガン消しを売って作った五千円はきついか。


「残念ながら電車賃と飲み物代程度しかお渡しできません」

「東中野から電車に乗ってください。15分位で吉祥寺ですから」

そう言って千円札1枚を握らせた。


その人、急においおいと大きな声で泣き出した。

俺の手と千円札を両手で握ったまま中々離さない。

泣き止まないのでちょっと周りの目が気になりはじめた。


しばらくして落ち着きを取り戻した時、

お金を返すので住所教えてほしいと言われたが、

そんなことは不要と伝えた。

俺も用事があるのでと無理やり手を引っ込めた。


その人は言った。

「一見コワモテなのに優しい目をしてますね」


別れ際にもう一言頂戴した。

「親切なあなたは絶対に良いことばかり起こりますから」


北海道までの飛行機代貸してくれと言われれば詐欺だろうが、

千円で泣いて喜んでくれたのだから「本物」だろう。


少しいい事をしたかなと気分よく出かけた。

誘われて飲みに行ったのだが、結局俺の支払いになった。

1万数千円。

こんなことなら飲み断って、5千円あげるべきだったと反省した。


24日の今日は祝日なので営業します。

美しい敬礼

  • 2012.05.20 Sunday
  • 04:15
後楽園に向かうため、地下鉄丸の内線に乗車した時の出来事。

18時頃、中野坂上から乗車した。

サラリーマン帰宅者が散見され、車内はそこそこに混んでいた。


丸の内線のシルバーシートは片側5席の対面10席である。

何気なくシルバーシートの真ん中辺りに立った。

俺の前に着席しているじいさんが「くしゃおじさん」に似ていた。

入れ歯を入れていない老人は、たいがい皆そんな感じだ。


「ポパイにも似てるな」

そんなくだらないことを思いながらつり革につかまっていた。

しばらくすると、じいさんは左右に顔を動かし出した。

どうやら俺がじいさんの視界を遮断しているようなのだ。

俺は振り返り、後ろのシルバーシートを見た。

二人の女子高生が熱心に携帯電話をいじくっていた。

二人とも校則ぎりぎりと思えるスカート丈だった。

つま先立ちで膝をあげ、更には結構な角度で足が開いていた。


じいさんは、おパンツの鑑賞中だったことが判明した。

俺の登場により、鑑賞に障害が生じてしまったのだった。


「余生短い老人の楽しみを奪ってはいけない」

とっさに思った俺は、つり革ひとつ左にずれた。

どうやら俺の粋な計らいが伝わったようで、

俺をさりげなく見上げ、素早い二指敬礼をしてくれた。

感謝の意を感じとれる、それは素晴らしい敬礼だった。


速やかに障害物が除去され、晴れて視界良好となったじいさん。

敬礼時のやさしい眼差しから一変、するどい眼光を放ちながら、

更に体を沈めて本格的な鑑賞態勢を整えた。


美人さんナナの話

  • 2010.12.12 Sunday
  • 23:29
10年も前の7月の夕刻。

自分が借りていた郊外にある倉庫の軒下に一匹の犬がいた。

後にナナと命名することになる。推定4歳のメスであった。

犬種はシェルティー(シェットランドシープドッグ)。

犬種からして元は買主がいたはずだ。

どんな事情で野良犬になってしまったのだろうか。


首輪がついていなかった。

毛並みはボサボサで、皮膚病に冒されており半分くらい抜けていた。

相当な期間野良犬として生きなければこんな酷い状態にはならない。

倉庫のシャッターの前に弱々しく寝そべっていた。


家に帰ってマサミに報告をした。

マサミは犬好きなので話を聞いて放っておけなくなり、

ふたりで真夜中に仕事用のバンで倉庫へ向かった。


暗がりにナナはいた。

俺が最後に見た姿勢のままだった。

持参した水とエサを与えたら喜んで食べた。

マサミは保護して病院に連れて行きたいといった。

俺が車の荷台の扉を開けた瞬間、ナナは自分から荷台に飛び乗った。


病気が治るまでガレージにおいた。

約一ヶ月の看病でナナは元気になった。

毛並みもどんどん良くなった。

本当に美しい顔立ちだった。

数日後、綺麗に体を洗われたナナは室内に招かれ、家族の一員になった。


ナナは美人で温厚で頭が良かった。

元々いた2匹のヨーキーがちょっかいを出しても動じなかった。

お手、おかわり、伏せ、ゴロンなど何でも出来た。

元の買主のしつけの良さが想像できるだけに、

出合った頃の状況までの経緯が謎であった。


家族全員が可愛がり、ナナは幸せな日々をおくった。

名前を呼ぶとゆっくりと歩いてきて寝そべる。

撫でると顔を上げて鼻をぐいぐいと手にあてた。

夜の散歩を毎日した。

散歩がてら犬の入店OKの店もよく行ったが、やはり人気者だった。

半年間はとても幸せな日々だった。


ある日から、食が細くなった。

時折吐くようになった。

マサミが病院に連れて行くとすい臓が悪いと診断された。

薬を貰い看病したが病状は悪くなるばかり。


土曜の夜、

休み明けに病院に入院させ、必要なら手術もしようと決めた。

日曜の夜、

お酒を飲んで遅く帰宅した俺はリビングのソファーに寝転んだ。

ナナがとぼとぼと歩いてきて俺のそばに来た。

ナナの顔はやつれていた。

鼻先を俺の手に擦ってきて撫で撫でを催促した。

俺は撫でながら「明日は病院にいこう」といった。

しばらくすると自分から玄関の寝床へ戻っていった。


月曜日の早朝、

家族の騒ぎで目が醒めた。

急いで降りるとマサミと子供ふたりがナナをさすっていた。

ぐったりと寝そべり、目も閉じており呼吸が弱かった。

マサミが泣きながら「もうだめかも知れない」といった。

俺も顔を撫でた。

家族4人が集まった直後、皆にお礼を言うかのようにナナは一瞬目を開いた。

家族全員がナナの美しい目を見た。

ナナはゆっくりと潤んだを目をつむり、そして呼吸が止まった。


子供達は泣きながら学校へ行った。

一番可愛がっていたマサミの号泣はいつまでも続いた。


みんなに美人さんと可愛がられたナナはたとえ7ヶ月でも

幸せな思い出をたくさんもって天国に行ったはずだ。


ばあちゃんとシロ 〜モノクロームな思い出〜

  • 2010.03.31 Wednesday
  • 06:53
1976年。中学2年の春休み、晴天。

初めて親父の形見のカメラに白黒フィルム12枚撮りをセットした。

そのカメラはヤシカエレクトロ35。

ピント合わせがマニュアルなのでバカチョンと一味違い、

高級ではないがメカニカルで興味をそそるカメラだった。

カラーフィルムは高かったので白黒フィルムにした。


自動車、バイクに興味があった俺は、首にカメラを下げて

カメラマン気取りで近くの柳沢団地へ向かった。

団地では色々な車を見かけることができるからだ。


前年秋発売の真っ赤な新車のマツダコスモAPを見つけた。

あまりに綺麗な赤い車体だったので白黒フィルムを少し悔やんだ。

さっそく慎重に初シャッターを押そうとしたその時、


「坊ちゃん、坊ちゃん」


後ろから声をかけられた。

振り向くと145センチの俺よりもずっと小さなおばあちゃんと白い老犬がいた。

それが俺とばあちゃんとシロとの最初の出会いだった。


「坊ちゃん、わしらを撮ってくれんかね」

ばあちゃんは丸いニコニコした顔で見上げながら言った。

「いいですけど、僕カメラ初めてなんで上手く撮れるかわかりませんよ」

「大丈夫、坊ちゃんなら」

「わかりました。撮ってみますね」


初シャッターがコスモAPでなく、突如として人と犬になった。

やけに緊張したのを覚えている。

それでも慎重にピントを合わせてシャッターを押した。

1枚目は、ばあちゃんが立ってシロが足元でおすわり。

2枚目は、ばあちゃんがベンチに腰掛けシロをだっこ。

ケチったのか、常識を知らなかったのかは忘れたが

2回だけシャッターを切った。


ばあちゃんは何度も何度もお礼を言ってくれた。

「写真が出来たら渡しに行きますから、お家はどこですか」

「すぐ近くだからお茶を飲みにこんかね」

何度も誘ってくれるので俺は車の撮影を一旦あきらめ、

ばあちゃんの家を覚える為、行くことにした。


2分位で着いた。パン屋の裏だった。

小さな平屋の文化住宅だった。

聞くとシロとふたりで住んでいると言った。

三ツ矢サイダーをご馳走になった。

テレビがすごく大きいのでビックリした。


出来上がったら届けると伝え、失礼しようとした時、

ばあちゃんは500円札を差し出した。

心から遠慮したが、ばあちゃんも強引だった。

当時では1本現像してもお釣りがくる金額だった。

結局俺は500円札を受け取って家を後にした。

帰りがけ、たった2回しかシャッターを押さなかったことを悔やんだ。

もっとたくさん撮ってあげればよかったと思った。

白黒写真であることも伝え忘れていた。

その後コスモAP、セリカLB、数台のバイクなど適当に撮ってしまった。

その足でカメラやに現像に出した。


数日後、写真を受け取りに行った。


「上手く撮れているだろうか」

カメラやで祈るような気持ちで写真を見たのを覚えている。

ばあちゃんとシロの写真は素晴らしい出来だった。

完全にピントや露出が合っていた。

車やバイクは逆光とかでよくなかった。

逆光を避けるため太陽を背にする事は後に知ることになり、

ばあちゃんとシロの写真2枚は正に奇跡だった。

興奮した俺は店主に頼んでお釣りで頼める範囲で大きい写真を注文した。

500円も貰って小さい写真では悪いと思ったからだ。


数日後に出来た大きい写真2枚を加え、ばあちゃんの家を訪ねた。

ばあちゃんはいた。

引き戸の玄関の土間にシロもいた。


「白黒写真だけど」

少し言い訳っぽい言い方で自信満々の写真を手渡した。

写真を見ながらばあちゃんは


「よかったなぁシロ」


シロを撫でながら満面の笑みで大喜びしてくれた。

また出してくれた三ツ矢サイダーが物凄く美味しかった。

別れ際、ばあちゃんはいつでもサイダー飲みにおいでと言ってくれた。


春休みも終わり、そんな出来事も忘れかけていた。


夏休みのある日、散歩中のばあちゃんとシロを見つけた。

声をかけたら喜んでくれて、また家に呼ばれた。


家に行くと俺が撮った写真4枚が飾られていた。

小さい写真2枚は写真立てに入れられ茶箪笥の上。

大きい写真2枚は厚紙を裏にあてセロハンに包まれて壁に貼ってあった。

サイダーを飲みながら気が付いた。

それまで、ばあちゃんの家には写真が何もなかった事に。

「坊ちゃんまたおいで」


夏休み冬休みも終わり、3年の春休みとなった。

団地で友人と談笑中にふとばあちゃんとシロを思い出した。

夏休み以来、本当に忘れていた。


「元気だろうか」


夕方訪ねてみた。

引き戸の玄関に明かりがあった。

軽く引き戸をたたきながら、「ばあちゃん、いる?」


驚いたことに引き戸を開けたのは見知らぬ中年男性だった。

「どちら様でしょう」

「以前ここに住んでいたおばあさんの知り合いです」

直感的に親族と思ったので言い過ぎたかと感じ

「いや、知り合いと言っても写真を撮っただけですが」

あわてて変な言葉で言い直した。


「あー貴方ですか、母から聞いてましたよ。

散歩で友達になった中学生に写真を撮ってもらったと」


「おばあさんはどうされてますか」


「秋に亡くなりました」


あまりに驚いて声が出なかった俺は

「シロは・・・」

小さい声をやっと搾り出した。

「シロも追いかけるように1ヶ月後に死んでしまいました」

呆然としている俺に線香を上げてほしいと言ってきた。


部屋の様子はほとんど変わっていない。

大きなテレビも茶箪笥もある。

ただテレビの横に以前はなかった小さな仏壇があった。

茶箪笥にあった2枚の写真が仏壇に置かれていた。

しみじみと写真を眺めた。


「とてもいい写真なので遺影に使わせてもらったんですよ」


後ろから言われた。嬉しかったけど複雑だった。

ばあちゃんもシロもいないのだから。


「坊ちゃんまたおいで」 

「よかったなぁシロ」


ばあちゃんとシロの心象に残る姿と声が鮮明に蘇った。


涙が強烈に溢れてきた。

こんなに出るものなのかと呆れるくらいに。

当時、泣く事は格好悪いと思っていたので口を真一文字にして耐えていた。

むせ返るような嗚咽も激しく襲ってきてしまい、どうにもならなくなった。



線香をあげて心の底からばあちゃんとシロの冥福を祈った。

そのときを最後に、この号泣を上回る経験は無い。

その後写真もたくさん撮ったが、ばあちゃんとシロを上回る物は無い。


ばあちゃんとシロの写真が見たい。


小さな親切(パチンコ編)

  • 2009.09.25 Friday
  • 22:57
この話は今までとは少し違う。

自分が受けた親切の話である。

10年ほど前のこと。

中野で人と待ち合わせをしていた。

約束の時間より40分程早く着いていた俺は、

ブロードウェイで時間を潰す予定だった。

アーケードを歩いていて、一軒のパチンコ屋が目に入った。

「たまにはやってみるか」


店内は混んでいたが、空き席があったので座った。

2000円飲まれたとき、クレジットされていた残りのルーレットで当りがきた。

持ち玉はゼロ。

さすがにパンクはもったいない。

2箱出していた隣のおじさんにお願いをした。

「10発ほど玉貸してくださいませんか」


「いやだね」と即答された。


とんでもない意地悪な奴だった。

両替の余裕も当然無く、パンクを覚悟したその時である。

その嫌なオヤジの隣にいた若い女性が立ち上がって

俺の上皿に玉を20発ほど入れてくれたのだ。

ぎりぎりパンクは回避された。

確変の大当たりだった。


機転の利いた親切が非常に気持ちよかった。

一回を終えて親切な女性に半箱(約1000発)お礼をした。

恐縮していたが、足りない位だった。


俺と女性の間には意地悪なオヤジがいる訳だが、

お構い無しに、ひとつ置いた女性へ親切のお礼を言った。

それから4連チャンしてまだ確変。

約束の時間が来た。


オヤジは最後の1箱も飲まれかかっていた。

女性もほとんど飲まれていた。

俺は立ち上がって、オヤジの頭越しに女性に言った。


「自分は用事があるのでこれで帰ります。

確変中だし、よかったらこの台で打ってください。

あなたの親切が無ければパンクしていた台ですので。

ついでに玉も全部置いていきます」


まさかの言葉に女性は最初遠慮したのだが、

少しのやりとりの後、無事譲ることに相成った。


当時の俺の財布には大金が入っていた。

約2万円分の出玉の惜しさなど微塵も無かった。


意地悪オヤジへの嫌がらせが最優先だった。


「ざまあみろ、意地悪オヤジめ」

心でつぶやき、自分に酔いながら店を出た。



小さな親切 シルバーシート編

  • 2009.09.17 Thursday
  • 05:31
俺がサラリーマンだった30歳頃の話。

仕事帰りの夜9時頃、新宿から池袋方面行きの山手線に乗った。

車内は仕事帰りの乗客で混んでいた。

乗り込んだ所がシルバーシート近くだった。

シルバーシートには中年から初老と思える人たちが座っていた。

ひとりだけ背広がまだ似合わない20歳前後の若者がいて、

一点を見つめるかのようにボーッと目を開けて、俺の近くに座っていた。

その前には明らかに老人とわかる人が立っていた。

俺は躊躇無く若者の肩をそっと叩いた。

「ここはシルバーシートだから、おじいさんに座ってもらおうか」

「あっ、そうですね」

そう言って若者はすぐに腰を上げようとした。

なかなか素直で感心した。

その時である。


おじいさんは腰を上げた若者の肩を押すように手を置いて言った。


「どうぞ座っていてください。仕事でお疲れでしょうから

私も仕事帰りでしたら遠慮無く譲ってもらいますが

あいにく定年退職して仕事もしてないし、今日は遊びの帰りですから」


「はっ、はい」

若者は肩を押さえられたまま、横目で俺を見ながら腰を下ろした。

じいさんの断る理由も「粋」と感じられる。

流れ的にも若者がまた座ることに異論は無い。

でもなんか腑に落ちない。


じいさんは譲るように促した俺に対しては完全無視の状態だったのだ。

俺に一言「お気遣いどうも」とあれば、すべて丸く収まったはずなのだ。

俺は蚊帳の外となり、ふたりのやり取りだけで一件落着となった。

それ以来、一切気にするのは、やめにしている。


小さな親切 バッティングセンター編

  • 2009.09.01 Tuesday
  • 20:14
俺が20代半ば頃の話。

ある休日、マサミと一緒に近所の友達ご夫婦のお家へ招かれた。

我々より何歳か年上のご夫婦だった。

まあカミサン同士のお茶飲み会だ。

男どもはすぐに暇を持て余した。

友達の旦那さんがバッティングセンターへ行こうと誘ってくれた。

暇そうな俺を気遣ってくれたようだ。


2人して車に乗り込んだ。

バッティングセンターはそこそこ混んでおり、

8つほどのサークルには概ね人がいた。

球速110キロ程度の普通の所が空いたのでそこに入った。

友達の旦那さんは上級者向けに入った。


最初は当たらなかったが、小学校では野球を良くやっていたので

しばらくすると当たるようになっていた。

ふと後ろを振り向くと、小6か中一位の少年がマイバットを持参し

サークル入り口にあるベンチに座っていた。

順番待ちである。

各サークルの入り口には皆ベンチがあり、思いの球速にチャレンジする為

そこのベンチで待つのだ。


「マイバットはすごいね、もうすぐ終わるから待っててな」

俺は少年に声をかけた。

少年はニコッとして 「うん」 とうなずいた。

確かにうなずいた。


俺は最後の球を打ち終え、サークルを出ようと扉を開けたその時.....


半袖から七部袖の刺青をのぞかせている、一見でヤクザ者とわかる

中年男が近寄ってきた。

その男は俺と入れ替わりで入ろうとしてきたのだ。

無礼千万の割り込みである。


俺は男に躊躇無く言った。

「先に待ってたので、その子の順番ですよ」

「あぁっ?」

男は険しい顔をした。

こんな話をしながら、その少年を見ると....


顔色が変わっていた。


俺もその男に言った手前もある。

「さあ、待ってたんだから打ちなよ」

さらに少年に声をかけた。


しばしの沈黙の後、少年は小声でつぶやいたのだった


「ボク待ってません。見てただけです」



俺はさっきの少年のうなづきを思い出したが、追い込むのはやめた。


「あなたの番です。さあどうぞ」

俺は扉を開けながら男に言った。


遠巻きに見ていた旦那さんが言った。

「あの状況じゃぁ子供じゃ打てないでしょ。俺でも無理だわ」



小さな親切 痴漢編

  • 2009.08.31 Monday
  • 19:43
俺が30歳位の時だと思う。

小田原のゴルフ場へ行く為、小田急線で向かっている時のこと。

朝の7時前後だった。

新宿から急行に乗り込んだ。

下りとは言え、そこそこ混んでいた。

学生がたくさん乗っていた。

成城あたりで俺の近くにいた女子高生がもぞもぞと動いている。

明らかに怪訝な顔であった。


少しの隙間から、

見知らぬ手が彼女のスカートの中に侵入しているのが見えた。

その手は見た目20代中頃の私服の男だった。

彼女は声を出さぬまま、侵入を阻止しようと非力ながら抵抗していた。


俺はすぐさま男の腕を掴んで、(全く躊躇無し)

ドア付近まで押し込み、無言でボディーブローを2発お見舞いした。

男の背中がドアに当り、大きな音が出てしまった。

異変をまわりに感じ取られたようだ。

男は苦悶の表情でうつむいたまま。

好都合なことにすぐに次の停車駅に着いた。

俺は男に「ここで降りろ」と小声で伝えた。


男は無言でドア側に向きを変えた。

ドアが開いた。

ホームは乗客が左右に分かれ、降車客の道を作っていた。

モーゼの十戒での紅海が割れる様に酷似していた。

俺はその男の頚椎に重いパンチを叩き込んで放り出した。

つんのめってホームで転ぶ男。

俺の仕事はこれで終了と決めていた。

ゴルフがあるので降りる訳にはいかない。

正味1分の出来事だった。


さて、この光景を見た周囲の様子がおかしい。

乗車ドアを急いで変える人がいた。

うつむきながら端から静かに乗る人もいた。

相変わらずの混雑だが、なぜか俺の周りが妙にゆったりしている。

振り返ると女の子がいない。

降りてないのにいない。

いるのは 触らぬ神に祟り無し を決め込んだ伏目がちの乗客だけ。

どこへ行ったんだ。

礼を言って欲しくてとった行動ではないが、

この状況では一言欲しいぞ。


これでは完全に俺が弱者にただ暴力を振るっただけと思われてしまう。

ていうか、もう完全に思われているではないか。


ゆったりとした状況で考えた。

余計なことだったのか。

右手の小指が痛い。

クラブは握れるかな。

ボディーブローを食らったかのように胃がちくちくした。


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