俺が日大商学部会計学科に入学したのが1980年春。
同年に新宿オカダヤ5Fにある特殊生地売り場へバイトに入った。
特殊生地とは主にステージ衣装に使用する生地をいい、
スパンコール、ラメ素材、高級レース生地などが代表的なものだ。
今世間を賑わせているSMAP解散問題でメリー副社長の話題も多い。
当時俺はメリーさんに大変可愛がってもらった。
俺は18才から4年間はバイトだったが、22才から正社員となった。
18才から27才まで在籍した10年間はずっとジャニーズ事務所を担当させてもらった。
当時のテレビ番組のゴールデンタイムは歌番組が主流でアイドル全盛時代だった。
売り場には有名人がスタイリストと共に頻繁に訪れており、日々楽しかった。
山口百恵、松田聖子、中森明菜など在職中見かけた有名人は100や200ではきかない。
メリーさんは頻繁に来店してくれた。
時折娘のジュリーさんも付き添っていた。
今思えばメリーさん自ら手がけるのはマッチと少年隊だけだったように思う。
彼らの新曲のイメージを教えてもらい、俺なりに考えた色と素材のサンプルを揃えた。
少年隊のデカメロン伝説の時は、新発売の蛍光グリーンのジャージ素材を見つけ、
メリーさんに大変喜ばれたことが思い出として残っている。
青山劇場の楽屋、渋谷の縫製店には頻繁に出入りしていた。
俺22才のとある夏の夕方、来店したメリーさんに言われた。
「あんた、何とか今から出れない」
メリーさんの頼まれごとは断れない。
俺は上司に事情を説明して早退した。
新宿東口にメリーさん専用の真っ白なW126のベンツが停車していた。
運転手は専属の武田くんで後ろにはマッチが乗っていた。
車内でメリーさんから、今から辻が花染めの久保田一竹先生のお宅に行くと説明された。
車中俺をマッチに紹介してくれたが、お互い「どうも」とか簡単な挨拶だけで、
確か小平までの小一時間の車中が非常に長く感じられた。
メリーさんが俺に言ったのは「勉強になるから誘った」とのこと。
久保田一竹先生の和風の豪邸に通された俺はただただ無言で話を聞いていた。
メリーさんが次のマッチの紅白の衣装は先生の着物を是非との会話だった。
帰りの車中では紅白の衣装の件は内密にと口止めされた。
当時新婚で住んでいた西武柳沢は小平の近くだった。
途中下車をお願いしており、帰りの車中は短くて楽だった。
その年の紅白ではマッチは辻が花の着物で「ケジメなさい」を歌った。
当時メリーさんからはジャニーズ事務所へ来ないかと、何度もお誘いを受けた。
俺の給料を聞かれたので素直に答えたら、「今の3倍は出す」と言われた。
俺は真剣に考え、マサミにも何度も相談した。
しかし、当時赤ん坊ふたりを抱えていたのと、マネージャー業が主な仕事なので
全国を飛び回るため、帰宅できるのは月で数日しかないとのことで断念した。
もしも入社していたら恐らく「SMAP」か「TOKIO」の担当だっただろう。
間違いないと言い切る自信がある。
俺が担当してたら「SMAP」はどうなっていただろうか。
俺の笑い話として以前からよく語っている。
「メリーさんマンセー」の俺ゆえ、こんな問題は起こさないだろうと断言する。
その前に今の「SMAP」の地位を確立できないから問題も起きないか。
現在の国民的アイドルグループSMAPがあるのは俺のおかげでもあるかな。
マジで俺がジャニーズ事務所行かなくて良かったんだな。
最近マサミは「ジャニーズ事務所に行ってれば良かったのに」と真顔で言うときがある。
おもちゃ屋で成功を収めている時は「行かないで良かったね」と言ってたのに。